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ミステリアスなインカの世界を歩く

NO-1   『ミステリアスなインカの世界を歩く』文:渡邊正(日本旅行作家協会会員)
●マチュピチュの遺跡
ミステリアスな、そして高度な文明を想起させる世界遺産のマチュピチュの遺跡観光。
朝6時、鐘の音を合図に列車はクスコのサンペドロ駅を後にします。
ビスタドームというブルーカラーの4両編成(5両編成の場合もある) 列車はアドベで作られた粗末なインディオ(インディヘナ)の家並みをすれすれにかすめ、朝もやに煙るクスコの町並みを左に何度かスイッチバックを繰り返しながらゆっくり出て行きます。
約3700m(クスコの空港は3248?)峠を境にマチュピチュまでは下りとなります。

やがて車窓からの眺めはいずこも変わらぬ農村風景とへと変わり、赤や黄色の農夫たちが彩りを添えます。
マチュピチュまでは約3時間半。クスコを出て約2時間、列車はアマゾン川源流のひとつウルバンバ川を渡り6つの巨大な謎の石の遺跡がある「オリャンタイタンボ駅」に停車します。
駅には待ち構えていた現地の人々の物売りが一斉に車窓めがけて集まってきます。
みやげ物と一緒に茹でたての大粒のトウモロコシも売りにきます。約10分停車。
ここを過ぎる頃から車窓の風景は先ほどの田園風景から一変して荒々しい渓谷に変わります。
左手にはウルバンバ川、右手には雪をかぶった5000m級のアンデスの山並みがほんのわずかですが見えてきます。
列車はおよそ3時間半でマチュピチュの登山口「アグアス・カリエンテス駅」に停車します。
遺跡へのバスは駅前に数台が待機しており、定員になり次第出発します。

バスは遺跡の発見者ハイラム・ビンガムの名のついた13のヘアピンカーブを約20分で登り(駅の標高は2000m、遺跡との標高差は407m)、マチュピチュでただ一軒のホテルの前で止まりまります。そこが遺跡への入り口にもなってます。
登山道を登ると急に視界が開け、突如現れる「マチュピチュの遺跡」。
なんと神秘的な…。空中要塞 ? 空中都市?、言葉ではとても表現できないほどの感動で、しばし立ちすくんでしまいます。
正門から入るとコンドルの神殿、住居跡、三つの窓の神殿など数多くの見どこがあります。
マチュピチュ=2940mとはケチュア語で老いた峰、遺跡の後方に聳える山はワイナピチュ(若い峰=2690m)、遺跡はこの2峰をつなぐ尾根に広がっています。
遺跡についてはガイドブックに譲るとして、観光についての注意点を述べてみましよう。
遺跡に到着するのは早くて 11時近く、帰りの列車はアグアス・カリエンテス発が15時半、遺跡発の下りのバスは約1時間前、したがって遺跡の観光は昼食(ホテルのブッフェ)をいれて3時間半から最大4時間と短いです。
遺跡の観光は前もって計画を立て無駄なく巡るのがこつ、最近は観光客が多くなったため立ち入り禁止の場所が多くなっていてます、 監視員も増えており、さらに持ち込み食事もできません。

クスコへの帰路は約1000mの昇りとなるため約4時間かかります。
クスコの峠にさしかかると、こんどはスイッチバックしながらの下りです。
このときのクスコの夜景が素晴らしいので
す。宝石を散らばめた様な光の海の中を列車はゆっくりと降りてくるのです。 列車内は歓声とカメラのフラッシュでしばし騒然とします。
クスコ駅到着は午後 7時半頃です。現在日本から20時間以上かけて行くマチュピチュの遺跡ですから、もう少しゆとりがほしいですね。
そこでふもとのアグアス・カリエンテスに一泊すればゆっくり観光ができるほか、ふもとの町の散策もできます。 アグアス・カリエンテスとは温泉の意味、プールのような温泉にも入れます。さらに町を歩くとペルの郷土料理の店で民俗音楽もフォルクローレも聴け楽しい夜のひと時が楽しめます。
翌日、遺跡行きのバスは朝一番が 6時半、7時から遺跡に入れますので誰もいない朝もやのマチュピチュの遺跡観光が堪能できます。
もやのかかった朝の遺跡はより一層神秘的で、写真の被写体としては最高です。
さらに天候にもよりますが、ワイナピチュ登山(往復3時間 、限定400名)もゆっくりできます。

マチュピチュの遺跡は現在登録されている世界遺産の中でも人気はN01で、世界中から観光客が訪れています。、 したがって近く入場制限があるという話が地元では出てます。
さらに遺跡が崩壊するという新聞記事も載ってます。

 

崩壊の危機にさらされている?「マチュピチュの遺跡」
今では世界に850 ちかくの世界遺産があります。その幾つかは崩壊の危機に瀕してます。
例えば水位が上がって水びたしになっている「都市ベニチュア」
樹木が絡みついた遺跡「アンコールトム」などなど。世界的に人気の「マチュピチュの遺跡」そのひとつです。
あまりにも有名になり毎日押し寄せる観光客で遺跡が崩れる恐れがあると地元の新聞が書いてます。
一日2便だった観光列車は 4便になり、より多くの人たちが訪れるからです。
京都大学が地震計を設置しデータをとっています。
今すぐということはないにしても近い将来必ず崩壊すると地元の古老たちは心配しています。

 


1.クスコ市内地図

2.クスコ周辺地図

クスコ近郊の「インカの聖なる谷巡り」
●日曜市で有名なピサック村へ
クスコの郊外にはウルバンバ川沿いに土地の人々が聖なる谷Valle Sagrard de Los Incasと呼ぶのどかな村や遺跡が点在しています。
クスコからピサックまでは約38km、前日に観光したクスコ郊外の遺跡群「サクサイワマン砦」や「ケンコの遺跡」を右に、インカの水浴場だった「タンボマチャイ」を左に見ながら黄色のエニシダが咲くカーブの多い道を走ります。
ピサックの標高は2971mクスコより約400m低いのですが、気のせいかだんだん上って行くような気がします。
紫色の煙が立つ民家の軒先に赤い布を巻きつけた竿を見つけました。
これはチチャという地酒があるという意味で、頼べは売ってくれます。
チチャはトウモロコシを発酵させたインディオ(インディヘナ)古来の濁り酒です。
アンデス高原に住む彼らの家はその大半がアドベ(日干しレンガ)を積み上げ、個人で作ります。
アドベの家は乾燥すると冬は太陽熱を吸収し暖かく、夏は逆に外気を遮断し、涼しくするという彼らの知恵が生かされています。
ちょっと中をのぞかせてもらいました、うす暗いすすけた部屋の土間の片隅にはかまどがあり、クイというモルモットが集まっていました。
クイとは彼らの重要な動物淡白源だとガイドが説明してくれました。

●ピサックの遺跡
ピサック村は深い谷間のウルバンバ川沿いにあります。
日曜ごとに村の広場で開かれる朝市は有名で、近郷近在から集まってくる地元民が手作りの織物、土器、農作物、酒などを持ち寄り、売買しています。
一部は今も昔と変わらぬ物々交換をしている人たちもいます。
市の立つ広場に通じる狭い石畳の路地を歩くと彼らの生活の一旦が垣間見ることができ、とても楽しいです。
通路の中庭では泥で作った大きな釜でユーカリの葉を燃やしパンを焼いていました。
手作りパンです。味もなかなかのもの。なお、現在は日曜市の他に火曜日と木曜日にも市が立ちます。
ピサック村の裏手を約300mほど上った山の上には「ピサックの遺跡」があります。
全体が赤い石を積み上げた建造物で、太陽の神殿を中心に広がっています。
マチュピチュのような大規模ではありませんが、かなり精緻な遺跡です。
ただ建設途中で放棄したようにも見えます。
近くにはアンデネスと呼ぶ段々畑も見られます。

●インカ時代の宿場と謎の6個の巨石が見られる「オリャンタイタンボ村」
小さな村「カルカ」「ユカイ」さらにクスコへの分岐点でもある「ウルバンバ村=昼食」を経由してオリャンタイタンボの遺跡へ。
インカ時代の宿場(ケチュア語でタンボ)だったオリャンタイタンボには部落を見下ろす山の上に謎の6個の巨石があり、「オリャンタイタンボの遺跡」として内外から観光客が訪れています。
急斜面にある約300段の階段を上り詰めた山の上には一個の石の重量がおよそ500kはあるといわれる大きな石が接着剤でとめたように並んでいます。
深い谷間からどのようにして運び上げたのか? さらに接合はどのような方法だったのか、謎の多い遺跡です。 谷の狭まる地形を利用した要塞という説もあります。
村内を歩くと石畳の通路の両側にインカ時代に作られた建物、今でも使われてる灌がい用水路や下水道などが見られます。
農作物実験場? それとも円形劇場? 渦巻き模様の「モライの遺跡」

ウルバンバからクスコに戻る途中で見られる「モライの遺跡」はアンデス山並みをバックにのどかな農村地帯のチンチェロー村近くにありますが、観光ではあまり訪れません。
渦巻状の階段になっており、農作物の実験場説がもっともらしく伝えられています。
直径は100m以上、深さは50mくらい? 全部で4つあります。底の部分まで下りてみました。現地の人たちが食べるキヌアという穀物や豆類が植わっていました。
地元の古老たちに聞いても解りません。これも謎の遺跡のひとつです。

●チンチェロー村
5000m級のアンデスの山並みをバックにのどかな田園風景が広がる「チンチェロー村」
雪をかぶったアンデスの山並みをバックに紫色のじゃがいもの花や紅色のキヌアなど、カラフルな野菜畑が広がるのどかなチンチエロー村も訪ねました。
村を見下ろす小高い岡の上の広場には教会があり、広場の前では毎週日曜市が開かれてます。
ヒサックの市に比べると規模も小さく素朴で手織物や民芸品などを売ってます。
生活用品は下の広場です、ここもピサックのような賑わいはありませんが、かまどから野菜、果物、生きた鶏、何でもあります。
朝からチチャを飲んでる女性、カラフルな民族衣装と身振り手振りの物々交換を見るだけでも楽しいです。クスコまでは20kくらいです。
朝クスコを7時頃出発すれば一日で回れるコースです。

少し欲張ればウルバンバ近くにある「マラスの塩田」も見られます。
ただ、モライの遺跡とは反対方向にあるため1時間半くらい余計にかかります。
マラスの塩田は岩塩を地熱で温めた地下水で溶かした塩水を階段状の塩田にため、天日乾燥している珍しい製塩所です。 

 

ペルーを知りつくした。
文:渡邊正(日本旅行作家協会会員)