私的旅行記
グァテマラ
1996年2月、日本からグァテマラに向かう途中、マイアミに一泊した。空港ホテルのテレビではマイアミ沖でキューバ軍によってアメリカ民間機が撃墜されたと大騒ぎしていた。なにやら戦争でも始まらんばかりの様子だ。でも私の心は約10年ぶりの本格的なぶらぶら旅行へ向かう自分を歓迎してくれているバックグラウンドミュージックぐらいにしか聞こえなかった。アメリカはただの通過点にしか過ぎなかったからだ。
正直言ってアメリカはどうでもいい。生理的に自分とは違う世界だから。(アメリカ好きの方すいませんね) あっ、でも私が使った航空会社はアメリカン航空だった。アメリカン航空はとってもグッドです。念のため、、、、。
翌朝とっととグァテマラ行きの便に乗り込んだ。
思っていたとおりグァテマラは私の心の琴線にふれる国だった。陸路で抜けていったベリーズは洗濯?にもってこいの国だった。さらに陸路で抜けていったメキシコはなにかにつけての中途半端がちょっと私をがっかりさせたが全然別の意味でグァナファトはすてきな場所だった。どこが?とお思いの方はガイドブック(地球の……方?)を見てね。でも日本食が食べられるレストランはもうありません念のため。 ただ最後まで読まないと真意は分からないかも。メキシコでは大逆転が、、、、、それが旅。
グァテマラシティ到着後、オンボロタクシーの運ちゃんと交渉の末、US$20で空港から約1時間のアンティグアへ向かう。アンティグアに着いてペルーのクスコとそっくりな町だとびっくりした。違うのは高度が1000Mぐらい低くて高山病にならない事と近くに富士山のような火山がある事だ。とても美しい町並みと周辺の自然がマッチしていてちょっとのんびり出来そうだなと旅行者の溜まり場にもなっているのがよく分かる。
ここでは3件の安宿を泊まり歩いた。1泊30から50ケッツァルで安宿はある。だいたい¥500から¥800だ。今貧乏旅行をするなら中米は穴場です。
この国はバス網がよく発達しているが車体はぼろぼろ、通常通路を挟んで2人づつ座るシートに3人づつ座るのが当たり前になっている。アンティグア郊外の村にこのぼろバスで何度か行ってみた。にわとりを大きなお腹に抱えたインディヘナのおばちゃんやおじちゃん達でごった返している。何日か経ってからアンティグアからバスで約3時間のところにあるパナハチェルに移動した。ここはかつてヒッピー達の溜まり場だったそうだが今も強引な西洋風レストランや飲み屋、土産屋が小さな村にひしめいている。