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私的旅行記

メキシコシティ
メキシコシティに戻ると今回の旅の最後がいよいよ近づいてきたのを実感した。
メキシコシティは巨大な都市だ。私は最後に、カトリック三大奇跡の寺グァダルーペ寺院、国立人類学博物館、ティオティワカンの大ピラミッドを訪れた。どれも良かったのだが、それよりもメキシコシティでは孤独感ばかりを感じた。今回の旅行で初めて感じた孤独感だった。

最後の晩餐で日本食レストランへ行きビールをあおると今回の旅行を一人ねぎらい、いつしか今まで訪れた場所を回想した。

私は無性にグァテマラを懐かしく感じた。あの人なつっこくてそれでいて恥ずかしがり屋のインディヘナ達の顔が忘れられなかった。私は今回行けなかったトードスサントス(グァテマラの山奥の町)へいつの日にか行くぞと心に誓った。メキシコシティで偶然出会った日本人女性が嬉々としてこのトードスサントスの思い出を語ってくれたのが脳裏に焼き付いて離れなかったからだ。行きたくなるきっかけなんてこんなものでいい。

グァナファト近郊の村へ行った時のこと、村のすばらしい教会を見た後かつての銀鉱跡を探していると一人の少女が話しかけてきた。そしてこっちだという手招きをして私と一緒に行こうとするそぶりを見せた。そのスペイン語が訛っていたのか私の理解力がなかったのか分からないが(おそらく後者に違いない)、5ペソという言葉とグィア(ガイド)という言葉が私の耳に響いた。私はとっさにまた案内の押し売りかとうんざりしながら『ノー』とその少女に浴びせかけてしまった。民家の中から母親らしい女性が出てきてその少女にこっちに来なさいと手招きしていた。少女はその母親になにやら意見していた。結局彼女は半分べそをかきながらその母親らしき女性の方へ行ってしまった。

彼女が一緒に行こうとした方向に10分ほど歩いていくと果たしてそこにかつての銀鉱跡があった。入口に入場料5ペソと書いてある。そしてここを見て回るためにガイドが同行し、銀鉱の下まで案内すると入り口で説明を受けた。

これを聞いた瞬間、すべては氷解した。私は何ということをしてしまったのかと悔やんだ。あの少女は5ペソが欲しくて銀鉱の入り口まで私を案内しようとしたんじゃない。銀鉱跡のシステムを親切に教えてくれたのだった。そして道の分からぬ私をそこまでわざわざ連れていってあげようとしたのだ。彼女の涙は私にとって悔やむに悔やみきれない後悔を置きみやげとして残してしまったような気がした。

帰りにその少女にお礼が言いたくてその家に行ってみたがそこにはもう誰もいなかった。私にはグァナファトの町に帰る道がこの時だけは何百キロの道のりを歩んでいるように感じられた。

百人旅人がいれば百通りの旅があるようにたとえ同じところに行こうとも感じ方はその人数分だけの感じ方があると思う。そう考えると旅とはきわめて個人的なものだ。だから私は旅とは自分と出会うためのものだと信じている。100カ国まわったとか、人が行けないところに行って来たと自慢げに話すのもいいであろうが、基本的にはどこに行っても同じ事だと思っている。それが香港であろうが、グァムであろうが、チベットの山中であろうが、あるいはどこにも行かなくたってそれを感じるその人自身の感性の問題だ。ほんのちょっとした散歩の途中に何かの驚くべき発見があるかもしれないし、ある人の100メートルが他の人にとっては地球的単位、宇宙的単位の距離に感じられる瞬間だってあるだろう。

メキシコシティからの帰りの飛行機で20歳ぐらいのメキシコ人の青年と隣の席になった。最初彼から話しかけてきたのがきっかけでダラスに到着するまで話し続けることになった。彼は意味不明な英語とスペイン語、私は訳の分からぬスペイン語と英語でほとんどコミュニケーションの手段が絶たれたようなものだったが、こんな時にディスカウントショップで購入した5カ国語電子辞書が大活躍した。はたから見たら妙な会話風景だったかもしれないが、その話の内容は日本とメキシコの昼飯の値段から旅について、果ては宗教の話までいろいろなジャンルに渡った。